キミツナギ

q君繋ファイブエム/ASIAN KUNG-FU GNERATION」
ソニーアジカンをあんだけ大事にして大騒ぎして売り出すのが分かる快心の一撃。CCCDだった先発シングルは2枚とも買ってないので、ようやくきちんと聞くことが出来て嬉しい。CCCDじゃなかったことがとても嬉しい。
 
でも買うときに真剣に裏表チェックして、矢印マークは無かったけどDISC表示もなかった(初回紙箱仕様だから)ので、うちに帰って開けるまで実は半信半疑だった。CCCDではないとオフィシャルでゴッチが言っていたのに、もしかしたら、という疑念が拭いきれなかった。聴きたい音楽をお金を出して買うのにこんな気持ちでいる自分が情けない。こんな悲しいことはない。こんなことで一喜一憂しなくちゃなんない現況が間違っているのだ。
   
自身が葛藤の中から生み出した音楽をそんな風に扱われていいの?そんな簡単なものなの?だったら産み落とす必要ないんじゃないの。その程度のものなんじゃないの。どうなの。大袈裟かな?大袈裟じゃない。少なくともアタシにとって大切な音楽はそんな風であってもらいたい。アタシにとって素通りできる音楽も世の中にはたくさん溢れてるけど、それだって他の誰かにとっては大切な音楽だったりする訳だしね。
 
なんでこんなに複雑な気持ちでいるのかというと、同じく今日発売だったトライセラレミオロメンがCCCDだったから。一見するとCCCDとは分からないかんじでちゃんとCCCDだった。だけどそれより問題なのは、直前までCCCDだと発表されていなかった事。
 
アタシは残念ながらレミが苦手だからもともと買うつもりは無かったけど、たくさんの人が今回のアルバムを楽しみにしていたはずで、新曲が2曲しかないっていうの部外者が見てもちょっとそれどうなの?って思うけど、それでもたくさんの人が買うつもりだっただろう。何人かは泣く泣く買うのを断念したかもしれない。CCCDだとは知らずに買った人もいるかもしれない。
 
不信感でいっぱいだね。
 
なんでこんなことになっちゃってるのかなあ。
 
 
んで、君繋には今溺れてます。そんなに生き急いで何処へ行くのか、不安になって思わず一緒に走りたい衝動に駆られるほど。切羽詰ってしまう。いつも切羽詰って息苦しかった昔を思い出してしまう(ダメダメ、回想モードは長くなるから)。今だって切羽詰ってはいるけど、色々。
 
まず最初“フラッシュバック”の終わりから間髪いれずに“未来の破片”へ繋がっていくのがいい。そして“ノーネーム”で終わるのがまたいい。“ノーネーム”には当分縛られると思う。消えない愛をあげますよ。いらないとは思うけど。
 
全体的に歌詞は言葉遊びを結構楽しんでる感じで耳から入る音も結構気持ちいい。そしてやっぱり“君という花”は力のある曲だなあと思った。ちょっとPVで聞いていたのと終わり方が違うような気がしたりしなかったりするのだけど、どうなんだろう。
 
ええと、CD購入者先行電話受付、あの日はダメなんですけど一体どうしたら?やっぱりリキッドに行っとくべきなんだろうか。行っとけっていうことなんだろうか。ああどうしたら。