良質の文学と食欲の因果関係

「猛スピードで母は」を読んでいたら、
猛烈にムギチョコが食べたくなってしまった。
ザラザラっというか、カンカンというか
ムギチョコを皿に流す時の音や、
ぽろぽろとこぼれて食べにくいあの感じとか、
実はあんまり良質なチョコじゃない感じとか、
何個ずつ食べたらいいのかとか、
どこまで食べたら止めればいいのかとか、
ママが掃除をしたら部屋の隅に2,3粒転がっていたとか、
握り締めてべたべたになった手でくっついてくる弟とか、
そういう、
子供の頃の記憶が甦る。
 
笑う大天使川原泉の漫画だけど、
これを読んでも、ムギチョコ食べたくなるんだよね。
 
良質の文章とは、その文章から食欲をそそるもの
だと、何かで読んだような気がするけど、
出典は全然思い出せない。
林芙美子に関する評論だったかなあ、だめだ。忘れた。
 
林芙美子も、食べ物の記述が多かった。
読むとなんだかおなかが空いたものだ。
最近全然読んでいないけど。
 
川原泉も、読むとたいてい、猛烈に食べたくなる。
夜食のラーメンだったり、ムギチョコだったり、
アップルパイだったり、ワインだったり、
ふろふき大根だったり、ゆで卵だったり、
なんだか食べ物がわんさか出てくるんだもの。
絵とか別にリアリティ溢れるって訳じゃないのに。
何故なんでしょう。
 
「猛スピードで母は」は、芥川賞をとった。
最初、それほどのもんかいな?と思ったけど、
そういう観点からすると、良質の文学ってことになる。
ムギチョコが登場するのは、「サイドカーに犬」の方ですが、
こっちも文学界の新人賞をとっているしね。
 
今聞いているのは、サングローズ/Cocco
Coccoを聴くといつも、
食物をとるということに罪悪感を抱いてしまう。
何故なんでしょう?