本のハナシ

昔に比べて圧倒的に読書量が減った。とくに新刊はめったに読まない。もともと新刊は話題にならなくなってブックオフに半額以下で並び始めた頃にようやく手にするというかんじだったけど、最近では年に1冊2冊読めばいい方で、それだって最後に何を読んだかちっとも覚えていない。
そんなわたくしですけど、久しぶりに友達に貸したいと思える本を読んだ。
東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
リリー・フランキーの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」、以前Yさんが「気になるけど読む勇気がない」と書いていたアレだ。リリーフランキーに関しては雑誌などでたまに読むことはあっても面白いなあと思う程度で特別な興味を持ったことはなかったのだけど、本屋のほんねで絶賛されていたのと、たまたま入った本屋で立ち読みしていた時に、背後でものすごくイマドキの女子高生が「リリーフランキー本どこにあんのォ?」と話しているのを聞いたのとで、買ってみるのも悪くないと思ったのだ。そんな軽い気持ちで読み始めたのに、ウケたりホロリとしたりしながら結局、巷の噂どおり号泣してしまった。そして案の定凹んだ。
親が死ぬ。誰もが通る道だ。生と死を繰り返してそれでも生きる人間の、過去現在未来永劫続く業だ。しかし一人ひとりに割り当てられた時間には限りがあるから、いつかなんて言ってるうちに別れのときはいつか必ずやってくる。読む人はみんな“ボク”に自分を重ねて読むだろう。“オカン”に自分の親を重ねて泣くだろう。親不孝者ほど読むのがつらい踏み絵のような本だ。それでも読まなきゃならない。
だけど、自分の親にだけは読んでもらいたくない本でもある。たぶん自分より先に死ぬであろう親に「死」というものを認識してもらいたくない、というのもあるけどやっぱり、親不孝と言うほどのことはしてないけどかといってたいした親孝行もしていないという自分の親「不」孝行ぶりが面目ないからだ。今はまだこんなものを読んでもらっては困る。どうかウチの親がこの本の存在に気づきませんようにと祈るばかりだ。だけどもう読んでいるかもしれない。嗚呼。