閑人の葛藤

郵便局で順番を待っていたら、女児がキィキィ「鳴き」声をあげながら走り回っていた。
 
こういう時いつも注意しようかどうか葛藤する。元々コドモが好きじゃないっていうのはあるけどそういう個人的な趣味嗜好の問題じゃなくて、例え他所様のコドモでも社会のルールを知るいい機会だと思うから。でも思うだけでたいてい黙ってニコニコしている。でも飛行機とか新幹線とか密室の場合はそれとなく言う時もあるにはある。
 
コドモというのは元々、何時間もジっと座ってるのがムリなのだ。基本的にコドモはそういうものなのだ。だからオモテで遊ばせておくわけで「静かにしなさい」と言ったところでコドモだってかわいそうである。何故静かにしなきゃならないのかもまだ教えてもらってないのだし。だから、その判断が出来る歳になるまで、あるいはその判断を教え込むのが完了するまで、そういう場所に連れて行っちゃいけない。ちょっとずつ教えて込んで練習させてシツケが完了したら連れてきてもいい。犬を飼うときだってシツケするでしょう。犬と一緒にするなって言うな。人間だって最初は動物と一緒なんです。知る、ということを知るまでは。
 
だから旅行先で、シツケられてないコドモが飛行機の中で奇声をあげたり、リゾートのプールサイドで走りまわったり、レストランで北京ダックを食い散らかしたりしてるのを見ると、オイオイそれは違うだろうっていつも思う。大体がコドモを旅行に連れてくるのが間違ってる。コドモを置いてくることが不可能ならオトナもガマンしなくちゃいけないのだ。それがコドモを育てるオトナの義務。置いてきたってカワイソウでもなんでもない。社会のルールを教わらないで甘やかされて育つ方がよっぽどカワイソウである。そのコドモが大きくなって、自分で生きていく術を知らないで、社会のルールも知らないで、40になっても50になっても自立できないでいる、そんな現実がいっぱいある。自分のコドモがそうならない保障はどこにもない。そうならないよう色んな事を教えなきゃならないのだ。それが親の仕事。甘やかしてる場合じゃないよ。
 
でも甘やかすとかそういう問題じゃなくてハナからシツケる気もない、親の自覚ない親も多いように思う。自分が友達と会って話したいから夜中のファミレスにコドモ連れて来てたり。コドモ嫌いというのもあるけどコドモ育てる自信がまだない私や友人達の躊躇なんて、なんですかそれーってなもんである。産むのは簡単、食わせりゃ育つ。だけど。
 
意味を履き違えた愛情意味を履き違えた放任が余りにも横行しすぎじゃないだろうか。コドモのいないオトナにだって言う権利あるだろう。それがオトナの責任でもあると思うんだけど。
   
何でこんなアツくなってんでしょうかアタシは。何の話をしてたんだっけ。郵便局のコドモの話だ。今日は珍しく親が叱っていたので心の中で拍手する。「○○チャンダメ!ここは公園じゃないのよ!」だなんて当たり前なんだけど良いこというじゃないの。思わずニコニコしてしまう。
 
「ヒトにぶつかってケガしたらどうするの!」
「イタイイタイよ」
 
・・・なんか、違う。