祖父の葬式

祖父が亡くなった。99歳の大往生だった。 
田舎の葬式はまるで祭のようだった。
いや祭そのものなんだきっと。
 
出棺の挨拶の最中に花輪が風で吹っ飛ぶし。 
火葬場に行く人の為に大型観光バスが2台も来てるし。
しかも先頭のバスがエンジン故障で動かないし。
ガヤガヤともう一台のバスに民族大移動するも乗り切らず、あぶれた人たちは自家用車にすし詰めになって行くことになって大笑い。 
 
「まだ死んどらんゆうてるんじゃわ」
「あとひとつで百じゃけえ悔しがっとるんじゃわ」
「ほんまに最後まで一筋縄じゃいかんじーさんじゃなあ」
などと皆口々に言っていて。可笑しかったなあアレ。
 
「わしの葬式にはコレをつこうてくれ」と言って70歳の時にわざわざ撮ったという遺影の中の凛々しい祖父も笑っていた。30歳もサバ読んじゃってもう。
   
大笑いしていると出発のクラクションが鳴り響いた。
皆笑いながら泣いた。
 
選挙期間中ということで火葬場の前を「お騒がせ致します」と通る宣伝カーにも笑えた。ローカルだなあ。最後のお別れをして泣いて、焼きあがる(?)間待合室で宴会して笑って、焼きあがってからまた泣いた。泣くのと笑うのは一緒なんだなあ。
   
小さな骨壷に収まって祖父は家に帰った。それから読経。真言宗のお経は浄土宗とかと違って、ふわふわとした音響。途中タンがからんで何度も中断する。失礼ながらヘタクソだなーなんて思っていたのだが、終わったあと、「不肖の息子で」とうつむく叔父に、「そんなことはない。99の大往生や。長い事よう面倒見んさった。仏さんも立派な息子を持って喜んどるで」と袈裟をたたみながらたんたんと仰った。叔父は泣いた。葬式も坊さんも、宗教と言うのは生きて残った人のためにあるのだな。
 
組合(ってよくわかんないけど)の人たちへの接待が始まり、これまたヒト騒動で、やれ膳が三つ余っとるでー誰がおらんのやろかー、花岡んとこは息子が食べよるでー、あそこんとこがきとらん、ちょっと行って見てきてやー、ジュースが足らんでー、もう持っていったでー、組合のヒトにあと誰がおらんのか聞いたらええがー、などと女たちが走り回る。それが終わると親戚の宴会(?)。ふう。アレ食べーコレ食べー、飲んどるかー?ビール減ってねえがーどんどん飲まんとー、それが供養じゃけえーとまた大騒ぎ。子供はまだかー早う産まんと歳いってからは大変よーとよってたかって言われてヘラヘラ笑う私。「じーさんもひ孫見たかったじゃろうなあ」従兄弟の大兄ちゃんがポツリと言って場が一瞬しんとした。笑うしかできなかった。
 
法要が済んだら祭壇を片付けるであろう葬儀屋のヒトに93歳の祖母が「このままにしといたらええ、どうせわしがすぐ使うけえ」と言った。私の顔を見て「生きてるうちに会えるじゃろか」と言ってまた泣いた。近いうちにまた会えるじゃろうと親戚の人たちが言い、暗にそういうことを指しているのは分かってるけど、ヒトは生まれたら必ず死ぬのは分かってるんだけど、やっぱり寂しい。もちろん会えますとも。それを繰り返して人間の営みは続いていくことの不思議。