産む機械騒動に思うあれこれ

何もそうヒステリックにならずに、穏やかに速やかに退陣をうながせばすむ話なのにね。上手にやれば政権交代に持ち込めたかもしれないよ?多分ムリだけど。
どうせ非難するほうもされるほうも同じ穴の狢で、多かれ少なかれ似たり寄ったりの考え方を持ってるじいさんたちなわけで、茶番だなあとしか思えない。やるだけ無駄な国会を、やらないことは無駄か無駄じゃないか。じいさんたちが居眠りしてる間に増税やら戦争やら言論弾圧やらが決まってしまうぐらいならむしろやらないほうがましかもしれない。
政策なんてものはしょせん省庁の偉い人が決めるものなので、大臣なんか誰だっていいんだ。大臣の方でも、それが「厚生労働省」だろうが「経済産業省」だろうが(微妙なランク付けは存在するにせよ)、「大臣」の肩書が手に入ればとりあえずは「上がり」なんだ。
だけどいくら誰でもいいからといったって、ああいうじいさんが「厚生労働省」の看板しょっちゃいかんだろう。
例え話だから、というけどそもそも「女性がコドモを産む」というあまりにもシンプルで神聖な話に、統計学上の例え話なんて必要あんのか。あると思っているならば聴衆を見下しているし、見下してないと言うならば、それは「失言」でもなんでもない彼の「本音」だ。人は自分の中にないコトバはとっさに言えない。かなしいことだ。

この件で、せっかく上昇した出生率がまた下がるかもしれない、なんていうニュースを見たけれども、アホなことは休み休みでも言うなと言いたい。出生率が去年少しだけ上昇したのは、少子化対策が実りつつあるわけでも、天皇家親王が生まれたおめでたいニュースに触発されて私も産もうなどと考えた女性がいたからでも何でもない。団塊ジュニア(わたくしもそうだ)のジュニアが生まれたという「統計学上」しごく単純な話。だからこの先数年増加したとしてもまた確実に減っていく。だけどそれがどうした。少子化?そんなこと知るか。個人の自由デショ。あんなじいさんが何を言おうが、産みたい人は産むのだ。産みたくない人は産まないのだ。
問題なのはその、「適齢期の産める女にがんばってもらう」という考え方。それが少子化の根本的な問題なのがどうして分からないのかな。産みたいのに産めない人のことはいつでも蚊帳の外だ。
子宝を願って叶えられない人がいっぱいいる。
経済的な事情であきらめる人もいっぱいいる。
キャリアを捨てられなくて断念する人もいっぱいいる。
そういうところをまず経済支援・法整備するだけで出生率は確実に上がるデショ。だって産みたいんだもん。まずは産みたい人が産めるようにすべき。

その上で産みたくない人が、産んでもいいかもと思える世の中を作っていくのが「厚生労働省(の大臣)」のお仕事っちうか存在意義なんじゃないのか。少子化が国家の存亡を云々と言うなら頑張るのはお前(ら)だろうと思う。